ーー大きい。その大きさは、先のグワナーダとも比較にならず、自身の重量を強調するかのように、降り立った衝撃は周囲に地響きを伝える。
出現地点と拠点に関しては、未だ充分過ぎるほどの間合いの中、凶兆を謳うその敵を眼にしたイーリスに、フラッシュバックが襲い掛かった。
* * *
ソレは未だ彼女がアークスに就任して、間もない頃。
初歩的な任務をこなしロビーに帰還した際、緊急警報が響き渡った。直後に入った通信は、アークスシップの市街地にダーカーが侵入したと伝えた。
そういった事態の経験が無かったイーリスにとって、未知の事象であった。唯一の知り合いであるゼノとエコーは勿論、アフィンでさえも別任務にて場を離れていた。彼女が気軽に自体の状況を得る術は、その時点では無かったのである。
けれど、通信で耳にした言葉が彼女の性格を揺さぶり、現場へと躰を衝き動かした。
市街地。ダーカーの侵入。そして、緊急事態。コレ等が伝える事は、非戦闘員は勿論、アークスではない一般市民にまで被害が及んでいる可能性が在る。ーーという事だ。
イーリスの性分は、自分の力量が如何に非力であっても、そういった者達を見過ごすという選択が無いものだった。故に、計り知れない不安を抱えながらも、単身で襲撃を受けた市街地へと向かった。
そんな彼女に、二つの幸運が重なった。
一つは、戦闘行為自体は他のアークスがほぼ担った事。
そこまで強力なダーカーの姿は見られなかったが、当時の彼女の実力は、ダガンにすら手間取る程度であった。群れを成して無差別に襲い掛かるそういった敵に対抗するには、まだ役者が不足していたのだ。
だからこそ、市民や非戦闘員の救出活動に集中する事ができた。その中で、イーリスはふとソレを眼にする。
ーー球形のスタジアム。
既に襲撃を受けたのか、外壁は勿論周囲にも相応のダメージを負っていた。しかし、その割にはダーカーの姿が見えない。
単純に、既にソコから離れただけなのか、他のアークスに駆除されたのか。どちらにせよ、戦闘や襲撃の様子が見られなかった。そんな状況が、イーリスに疑問を抱かせる。
あそこにはもう、本当に誰もいないのか?
こういった緊急事態の最中で、戦闘をはじめとした所謂危機状況が見られない場所。言い換えれば、ソコを“安全”だと認識する者も出て不思議ではない。ましてや、遠目からでも判る大きさの建物。逃げ遅れた者や潜んでいた者が、ソコに身を移すという行動もまた、在り得る。
想いが巡り切った直後、イーリスはスタジアムに足を向けていた。この時、三つの要素を同時に背負う。
一つは、オペレーターや他のアークスに、スタジアムとその周囲の情報を訪ねなかったという失敗。
コレは、彼女が他者との交流を不得手とする性格の他に、初めての緊急事態に身を置いたことへの緊張感による判断力の欠落。そして、単純な経験の不足が齎したものだ。
二つ目は、スタジアムまでの道中で、殆どダーカーと遭遇しなかったという、もう一つの幸運。
ダーカーがなりふり構わず他の生物に襲い掛かる性質を持つと言うなれば、この時イーリスが襲われても不思議ではなく、寧ろそうでない方が疑問となる。しかし、仮にダーカーにある程度の知識や判断力が有った場合、その限りではなくなる。
例えば、スタジアムに向かうイーリス単体よりも、他所で自分達に襲い掛かる敵(アークス)の方が危険だと、判断した……いや。できたのなら。確証の無い定説ではあるが、この時のイーリスはそういった幸運に見舞われて、無事にスタジアム内部へと入る事に成功する。
ソコを衝いたのが、三つ目の要素。この場に辿り着けたという幸運が紡いだ、不運。
内部に居たのは、避難者や負傷者といった人間ではなかった。
イーリスの眼が真っ先に捉えたのは、壁を這うように動き回る蜘蛛を思わせる巨大なダーカー。即座に、彼女は直感で判断した。
作戦伝達時の通信にあった、“司令塔”と思われる存在。ソレが、この蜘蛛なのだと。そして、自分はその網(わな)に掛かったのだと。
その餌(イーリス)に気付いた蜘蛛は、一目散に距離を縮めると、嘶きのような鳴き声を上げた。威嚇などではなく、何処かしらソレは象徴にも見えた。
そんな今までに聞いた事のない、異常な声。加え、次第に重みを増す重圧から逃れる為に。イーリスの記憶は、ソコで閉じたーー。
* * *
「だ、ダーク……ラグネ……」
刹那の間に、記憶が見せた映像(トラウマ)から、その名を口にしたのはイーリス。
先の記憶の後、経緯の判らないままメディカルセンターで目を醒ました彼女が、看護官のフィリアから聞いた名前だ。二度と遭いたくないと願い、警告の為に根付いていた情報は、当然のように彼女を蝕んでいった。
押し返していた筈の恐怖が、勢いだけでなく圧を増して圧し掛かってくる。本作戦が始まって以降、一番強く躰が震える。
安定を失くした重心を支え切れず、その膝が折れようとしたその時ーー。
「大丈夫だよ」
ーー傍らにいたプルミエールが、イーリスの右手を取った。
自分と差のない、少女らしい小さな手。けれど、温かった。他の形容が見つからないその温もりに、躰の震えは止まないものの、確かに支えられているという、実感を抱いた。
「プルとカイトは、俺とラグネの対応に。それと、アンタもきてくれ」
「あん? っち、しゃーねーな」
『大型敵性反応以外に、全方位に多数の反応が広がっています! 注意! 注意ですよ!!』
「ユノは西側の防衛をサポート」
「了解よ」
その間にも、時間は流れ、状況は移り変わり、事態を迎える。
イーリスが例えこの場で折れたとしても、他の十一名は違う。経験の不足やトラウマの有無に拘わらず、未だ意志が在るが故に。
「……いくぞ!」
ギルが一瞬、号令を出すのを躊躇った事に気付いた者がその場に居たのかは、定かではない。勿論、その理由も。加えて、確かめる暇も無い。
号令よりも僅かに迅く、敵は動いていた。
何よりも、ダークラグネはその巨体からは信じられない跳躍力を見せ、一跳びで拠点との距離を零にしてみせた。追い掛ける形となったギルとカイト。そして装束の男が、各々武器を携えて向かっていく。
臆す素振りも無く。
直後、イーリスの手からプルミエールの手が離れた。ギルの指示には彼女の名前も挙がっていた。応じる為には当然、そうしなければならない。
そのプルミエールが、足を動かす前に一度だけイーリスと眼を合わせてみせた。言葉は無く、唯ソレだけの一瞬ともいえる時間のやり取り。イーリスがそう識った矢先には、既にプルミエールはギル達の元へと駆けており、後ろ姿の方が長く眼に映っている。
離れていく少女の姿とは違い、イーリスの手には未だ確と温もりが在った。そして、先のやり取りを思い出す。
確かに眼にしたプルミエールの笑顔は、もう一度同じ言葉を掛けてくれたような、そう感じさせた。
「さて、じゃあこっちもーー」
「あ、あの……!」
ラグネが跳ぶのと合わせて向かってきていたダーカーの群れを眼にし、ユノが声を発しようとしたその時だ。
イーリスが、彼女の言葉を遮った。
「こちら側の防衛、ゆ……ユノさん達に任せても大丈夫……ですか?」
まるでその中の何かを護るように、右手を左手で力強く包んだ格好で、そう続ける。
ソレは、意志。この作戦に赴くまで、イーリスが知らなかった、持っていなかった感情の集約された形だった。他の者とは違う形かもしれない。だが、それは可笑しな事でも批難する事でもない。
本来、人の意志は個として在るものだ。ソレ等が一ヶ所に集まり、共鳴した場合に、別の形として生まれ変わるのだろう。
「大丈夫よ、任せなさいな」
そんなイーリスの意志に、ユノもまたプルミエールがそうしたように応えた。
「ーーありがとうございます!」
互いの応えを識ると同時に、それぞれは動き始めた。
ユノをはじめとする三人は西側の防衛。そして、イーリスは正結晶の収集に依る支援兵装のエネルギー重鎮での支援。
各々が持つ役割も、想いもバラバラではある。けれど、そういったものが集まり繋がった想いを、人は“絆”とでも呼ぶのだろうかーー。
* * *
全方位からの攻撃の為に、イーリスも結晶の収集を阻まれる場面が何度かあった。ゴルドラーダやプレディカーダを相手にするならば、確かに危うい。しかし、ソレ以外なら充分に対応はできる。
イーリスの経験の不足とは、戦闘行為そのものではなく、あくまで多種多様な面。今回で言うならば、“未知”の敵との遭遇があたる。彼女の単純な戦闘面の経験は逆に、単独での戦闘を数多く熟してきている事から、豊富なものとも言える。
ゼノが居なくなった事で、ハンターに関する助言を貰える相手が無いという状況下。その中で、先の戦いで見せたイカロスも使用した大技。アレは、ビジフォン端末にて購入したディスクを基に、独学で修得したものだ。生真面目という性格からの鍛錬が大半を占める事に違いはないが、所謂戦闘のセンスも決して悪くはなかった。
間合いに入ったダガンやクラーダといった小型を、その経験を活かして倒していく。西側を中心に収集を行っているが故に、そうする事で後方のユノ達の負担が少しでも減るようにと判断したが故だ。
そんな中で、東側ではイカロスと銃剣使いの青年が中心と成り、バリアを展開しながら。西側では三人と他の二ヶ所と比べると少ないものの、ユノのテクニックに依る補助と拠点のバリアを上手く使い、見事に襲撃を防ぎ切ってみせていた。
「これで脚ぶっ壊れんだろ!!」
そして、中央ではギル達が今まさにダークラグネを討伐しようとしていた。
広範囲に亘る黒い電撃を掻い潜り、カイトと装束の男がその巨体の脚に向けて集中的に攻撃を加える。プルミエールは武器によるものかやや距離を置きつつ、銃撃でラグネの気を逸らしながら動きを観察し、伝達という司令塔となっていた。
「ラグネ倒れるよ! ギル、いけー」
脚の殻を破壊され、そのショックからか自重を支え切れずにダークラグネが躰を倒す。ソコへ、応じるかのように華麗な動きで空中戦を見せていたギルが、コアに向けて突進。距離を詰めると同時に、斬りつけと衝撃波を連続で畳み込んだ。
度重なる攻撃に、巨体を一つ大きく震わせたかと思うと、次の瞬間。ダークラグネは声も上げずに、巨体を地へと伏した。
その際の振動が、断末魔となったと言えようか。
「すごーー」
『おー、イーリス。ついにダークラグネまで倒しちまったのかよー』
「~~~~ちょ、ちょっとハンスさん!?」
その振動(だんまつま)にイーリスが眼を向けた直後だ。
突然、個人通信にてハンスがモニターを開いて割って入ってきた。予想だにしていなかった事態に、驚愕を隠せずにイーリスは声を上げる格好となってしまう。
『あのデッカイ蜘蛛を退治しちまうなんて、お前さんも凄くなったよなあ!』
「わ、私が倒したわけじゃないし、私は何もしてません!」
『いやいや、同じ作戦の場に居るんだ。お前が倒したのも同じってなもんさ!』
「そんな事ーー」
『謙遜すんなよなー。それに、俺はお前の働きっぷりをいつだってーー』
「と、とにかく未だ任務中ですから、切りますよ!」
ハンスの言葉を最後まで待たず、そして自身の言葉よりも先に、イーリスは彼との通信を閉じた。
以前にもナベリウスでの任務を受け持っていた際、似たような事をされた覚えがある。音声だけならまだしも、モニターで映像を開いてくるので、当然気を取られ眼を取られる。ソレに因る生じた隙で、原生種から手厚い攻撃を受けた痛みを、彼女は未だ忘れてはいない。
どんな経緯にしろ、少なくともハンスの行動により、イーリスの緊張はより解かれる形となった。尤も、彼にその意図が有ったかどうかは怪しいものであるが。
「~~~~まったく……あれ? 空がーー」
その柔らいだ空気を嘲笑うかのように、事態はすぐさま変化を見せた。